校長ブログ

2020/02/20

校長ブログ~朝の参拝講話よりPart19~

「伝統と継承」
残し、伝え、継承し、新しいものに革新して活かす。
先日、東京と北海道に修学旅行に行ってきました。本来は海外(タイ)に行き予定でしたが、新型コロナ感染症のため国内旅行に変更させていただいた。安心安全と生徒の健康を考えて決断させていただいた。
その、北海道でバスガイドさん、札幌別院の住職の方からも北海道開拓の歴史的人物である島義勇さんの話を聞いた。北海道の開拓村には島義勇さんの本が置いてあった。「北海道開拓の父」佐賀県七賢人の一人。今の北海道があるのは島義勇さんのおかげである。北海道はまだ150年ほどの浅い歴史しかないが、島義勇さんが開拓をし、その思いを継承して他の方々が今の札幌など素晴らしい町に築きあげた。
昨年、佐賀で島義勇さんの功績をたたえ集まりがあり自分も参加した。北海道からも多くの人が来られて、言われていたこと。「私達は、佐賀に足を向けては寝られません」でした。佐賀には歴史的に活躍された人物がいるんだなと思った日でした。
本校は141年の歴史と伝統がある学校です。親鸞聖人のみ教えである「心の教育」を建学の精神とし今も継承し、新しい教育に挑戦し伝統を築きあげている。学校の至る所に伝統の名のつくものがあるのだろうと思う。
先日、テレビのニュースで名選手、野村克也さんが84歳で亡くなられた事が報じられていた。虚血性心不全。選手として素晴らしい実績を残されているが、監督としても、データ野球の先駆者である。
取材班
「高校生に野球を通じて、どんなことを指導したい?」
野村克也さん
「特に若い人には『夢を持て、夢を持って生きろ』、この一点だけでいいと思う。『若人よ夢を持て』、それで十分だと思う。『俺は大人になったらこうなる』という明確な夢があると、本当に楽しい。俺の経験からいうとそうだ。」
半年間の密着取材で私たちに語ったのは、“選手の個性を見極めることの大切さ”でした。
取材班
「監督の仕事で一番大事なことは何?」
野村克也さん
「見つける、育てる、活かす、じゃないの。9つのポジションでいろいろな条件があるから、その条件に合うか合わないか見つけるのも監督の仕事。」
兄・嘉明さん
「日頃からの取り組みがすごかったね。“かっちゃんの素振りが始まったよ”って言われるぐらい近所の評判で、バットのスイングも音がするくらいまで続けた記憶はありますね。」
その後、人一倍努力を続け、18歳で入団テストを経てプロ野球選手となった野村さん。並み居るエリートたちに勝ってレギュラーの座をつかもうと、みずからを追い込みます。人が休んでいる時も練習に明け暮れたのです。
野村克也さん
「テスト生から一軍に上がった例はないかもしれないが、実力の世界じゃないの。バットを振って振って、振りまくって。」
野村克也さん
「いまだに忘れないけど、二軍の練習の時に、野手集まれ、手を見せてみろと。俺はマメだらけだから自信を持って出したら、おお、野村、いいマメつくってるなって。みんなよく見ろ、これがプロの手だって。あの時はいまだに忘れないけど、気分が良かったなあ。」
 
野村克也さん
「一番大事なのは感性だと思うんです。感じる力のある人は、がっと成長すると思うんですけど、大きなエネルギーになるので。私もそれで生きてきた。」
 
他の番組では、清原和博さんの直筆メッセージが紹介されていた。
西部に入団したとき、自分に合うヘルメットがなく倉庫にホコリかぶってたヘルメットがありそれが丁度良く、決めた。それが実は野村さんが使用していたヘルメットだった。巨人に移籍したときも黒く塗り直して使い、オリックスに移籍時も使い、23年間使い続けた。平成16年に覚せい剤取締法違反で逮捕された時、「いつかは野球界に戻って来いよと人づてに伝えられた」新人の時からことある事に声を掛けられてくださったのに裏切ってしまい心からお詫びしたいと思っていたようですが、叶いませんでした。「このヘルメットは、野村さんの形見、いつも野村さんが説いていたように一人の人間として、しっかり生きていけるよう努力して参ります」と感謝そして「本当に申し訳ありませんでした」の謝罪が書かれていた。
野村さんのそんな野球に対する思いが、野球界に今も生きて継承され伝統になっているのではないかと感じた。
 
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